採用にも流行がある

長い期間、就職活動や転職活動の社会的な動きを見ていると、採用ひとつとっても流行のようなものがあるなと思う。
入りたい会社に入るために、みなさんは、どんな会社がどんなところに求人を出しているかアンテナを巡らしていることと思うが、企業は企業で求める人材がどのような場所で活動をしているかにアンテナを巡らして、お互いにいかに良い相手と巡り合えるかを考えている。
しかし、それでもなかなか上手くいかないのが人事だとも言える。

驚くような言動の人がいる

人事部で人と接していると、驚くような言い分を展開してくる奴もたまにいる。
大抵の場合、勘違いや思い込みがほとんどだ。
こちらは保険や制度、規則などを熟知しているわけだから、勘違いしている部分や思い込みをしている部分を説明する。
保険や税金などの書類はわかりにくいものも多く、きちんと説明すればもめるようなことはほとんどない。

しかし、最近驚くのはこのような勘違いや思い込みによる「わからない」が問題になるのではなく、誰しも「わかるだろう」ことをしてくる人たちだ。
聞いたら「そんな人はいないだらう」と思うかもしれないが、実際多くの人を雇っている企業でも、また逆に人数の限られた中小であっても、一定の割合でこういう人たちはいる気がする。

公的文書での不正は許されない

例えば、就職活動や転職活動で欠かせないアイテムに履歴書がある。
これは立派な公的文書であるから、もちろん嘘を書くことは許されない。
しかし、平気で嘘を書いてくる奴も中にはいる。
普通の人には信じられないことだと思うが、自分の手で書いているから公的文書という認識がないのだろうかと疑問になってくる。
履歴書に嘘を書けば当然、詐称であり、場合によっては詐欺である。
そして、入社の際に書くであろう、契約書などの規約に違反をする行為でもある。

それでもそれを指摘した場合に、反省もせずに「なぜ今さら前職のことを言うのか。入社前に調べ上げろ」と言ったり「会社に迷惑をかけたわけではない」と言ったり、こちらが驚いてしまう。

今さら言うべきことではないかもしれないが、公的文書というのはとても大切で嘘が許されないものである。
当たり前のことを改めて言うようであるが、自分が書いた自筆の書類には当然、自分が負うべき責任というものが生じる。
今は履歴書もパソコンなどで作ったものを提出するケースも多いが、そのような文書にもう当然ながら自分の責任が生じるのだ。
そのことを肝に命じて書類作りに取り組んでほしいと思う。
真摯な思いを伝えるのに、詐称は無用だ。